憧れは晴耕雨読…出来れば…
晴耕雨読の意味を知ったのは三国志での諸葛亮孔明、
劉備玄徳が三顧の礼で軍師に迎え入れるの段で、
天気が良ければ耕し雨の日には読書勉強に励み世捨てと言わぬが、
自らが欲に踊らされない孤なる聖仙人的隠遁と憧れたものだが…
凡夫引退生活は見習う事など叶わず。
晴れの日には天気が良さそうだと…ゴルフに出掛け、
雨の日には読書の真似事が居眠りを誘うのが真実だ。
それが…コロナ禍と網膜裂孔で外出を自粛してしまった。
晴れた日にはベランダから庭を眺めて、
アソコのココのと…草毟りや片ずけに時間を費やしてしまった。
庭仕事後…嗚呼腰が痛い!足が痛い!…と早めに入浴して、
早めの晩酌タイムを迎えてしまう…
雨の日には片目では読書ができぬと、
カウチに背を付けて観るものは無いだろうか?…と、
J comの多チャンネルを訪ね歩く…
PGAやLPGAゴルフはコロナ自粛で四分三の再放送ばかり。
ヤケになって晴耕雨読は出来ぬ…晴耕雨観と嘯いてしまうが、
実際は…晴耕雨睡か晴飲雨睡…かな?
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。