それは間違っています
ホーリーランドでは間違った事が続いている。
神様は人を殺せとは説いていない。
預言者聖職者でなくとも心訓道を説いてくれる。
孟子の言葉として「恭黙思道」がある。
恭黙して道について考える事は自得する為の工夫である。
孔子の論語に「学びて思わざれば則ちくらし」を元として、
人の道を得たければ良く考えなさい…という事である。
心訓に、
世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です…がある。
これを考えてみる。
人は生まれながらにして、
羨んだり恨んだりはしない。
一般的な解釈してみると、
アイツは良い生活をしている悔しい…という事だろう。
恭黙思道してみると、
鷹山訓に辿りそして信玄訓に落ち着く。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」
「為せば成る、なさねばならぬ、成る業を成らぬと人の儚さ」である。
簡単な一文にすると、
やらないから出来なんだよね、やる前から諦めているんだよね…である。
こんな未熟な人が現実にいるから嫌になってしまう。
そんな人は「仏の顔も三度まで」を待たずに棄てなさい
ホーリーランドで起きてる事は最大の努力と譲歩の到着点でなく、
未熟な治世や人の滞留点である
どちらがどちらにでなく「仏のお顔は何度でも」お願いしたい。
それをするのが治世者や教育者の使命である。である
でなければ…生まれながらにして羨む事や恨んだりすることになる。
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